いくの喜楽苑は、1992年9月に兵庫県朝来市で開設されました。山や田んぼに囲まれた平屋造りの建物の横には川が流れ、どこにいても周囲の緑を望むことができます。冬になれば石州瓦で葺いた屋根に雪が積もり、宿のような風情もあります。
設計にあたっては、どうすれば人権を守る居住空間ができるのか。そのことを一番に考えました。当時、特養の居室は4人部屋が国の基準でした。しかし、それでは入居者のプライバシーを守ることはできません。いくの喜楽苑では、4人部屋であっても引き戸を閉めれば個室化できるように工夫して、さらに引き戸に鍵も取り付けました。また、居室から近い場所に小ぶりな居間や食堂を設け、生活動線をコンパクトにすることで、高齢者も暮らしやすい家庭的な環境をつくりました。
2003年に国が個室・ユニットケアを制度化する10年前から、既にその手法を取り入れていたことになります。そして、開設から今日に至るまで、法人理念である「ノーマライゼーション」、運営方針の「人権を守る」「民主的運営」を基本に、居住空間からも人権を守る実践に取り組んでいます。
いくの喜楽苑は、かつて生野銀山で栄えた町、生野町にあります。1947年に鉱山が閉山し、現在は少子高齢化、過疎化が進む町となりました。鉱山最盛期には、お祭りなどが賑やかに開催されていましたが、人口減少と共に文化の継承も困難となりました。
開設当初、入居された認知症の方が、毎日口ずさんでいる歌がありました。それは地元出身の職員も聞いたことのない歌でした。地域の方に聞くと、今は途絶えてしまった鉱山最盛期の盆踊りの歌であることが分かりました。そこで、地域の区長、消防団、婦人会の方々と相談し、地域伝承の盆踊りを復興することができました。最初は、施設内での小さなお祭りでしたが、現在は盛大な地域の夏祭りになりました。
この30年余りで、高齢者福祉を取り巻く環境は大きく変化し、生野の人口も減少の一途です。しかし、生野には他の土地にはない豊かな自然があり、昔なじみのコミュニティも残っています。朝来市や地域の福祉関係者や民間企業、住民の皆様との対話や交流を重ね、子どもから高齢者まで、地域の人々が安心して暮らしていける支援と仕組みづくりを行っていきたいと思います。
いくの喜楽苑 施設長